ただ気ままに書くノート

日常感じたことなどを気ままに綴ります。

万引きGメン

 G20大阪サミットが、とうとう間近となりました。今月に入って、あちらこちらで警察官の姿を見かけます。全国の警察官が大阪に集まっているみたいなので、必然的に見かける数も増えるのでしょう。一時的であれ、犯罪の抑止力が働き治安が良くなるのはいいことです。と言っても、先日の吹田での警察官襲撃事件や、神奈川での保釈中の犯人逃走事件などから、日本の治安に対する不安要素は変わらずにありますが。

 スーパーへお買い物に行くと、時折、店内でカゴを手にしていないのに、ウロウロ歩いている人を見かけることがあります。店員さんの格好はしていないのです。

なんとなく視線を感じるのでその人を見ると、別に売り物を見ているわけでもなく、ただ通っているという不自然な動き。「あ、万引きGメン⁈」と気づくわけです。わたしは良く大きめのカバンを肩から下げていることが多いので、疑いの目を浴びてしまうようです。なんてこと⁇と心外な気持ちになるし、万引きなんて一切思いつきもしていない人間に狙いを定めているなんて、能力は大丈夫なのかいな?とも思います。こういうときは、さっさと買う品物を決めてすぐにレジに向かうことが一番です。レジに行けば、万引きGメンはササっと離れていき、次のターゲット探しへと向かう背中が確認できます。

 妄想の話でも何でもなく、実際に万引きGメンは存在していますし、疑いの目をかけてきます。大きめのカバンを持ってスーパーに行くのはあまりいい印象を持たれないのでしょう。仕事帰りにスーパーへ行くことは多々あると思うのですが。

 ボーッとしていたら、お買い物を楽しむこともできない世知辛い世の中ですね。それだけ、被害が大きいのかなと反面思うけども。もっとぼんやりと生きていきたいなぁ。

映画アラジンよりもエリカ38が観たい

 水曜日のレディースデーに映画でも観に行こうかなと思って、アラジンとエリカ38の2つの映画が頭に浮かびました。

アラジンはずいぶん前から(4月くらい?)コマーシャルが流れていて、「あー観たいなぁ〜」と思っていたのです。アラン・メンケンの音楽が、昔から大好きで純粋に音楽を聴きに行きたい気持ちがあります。

 でも、すこし前から、エリカ38という映画が封切られ、主演の浅田美代子さんがよくテレビに宣伝のため出てくるように。即座に「あっ、アラジンよりもこっちだわ」と。

 アラジンとエリカ38を両天秤にかけて考えた、レディースデー。結局、水曜日はしんどくて出かけられなかったのですが…。

残念。

はてなブログ界隈を見ていたら、水曜日に体調崩して寝込んでいる方が多かったので、何か低気圧でも関係していたのかしら。

 わたしは、きれいごとばかりの夢物語よりも、ドロドロ現実物語の方に、ずっと心惹かれます。

たぶん若かったら、迷わずアラジンでしょ?ってなっていただろうけど。なんかね、もう夢とかキラキラ☆はいいかなぁという感じ。

女の業の深さみたいなものを、しっかりマジマジと観たいのです。

 

 ブログも、本音で書いている人のものを読みたい。

毎日、職場の男性への片思いを綴っているけど、実は旦那さんとこどもさんがいるという、主婦の方のブログとか。進展したらフ、フリンではないの?と、はじめはビックリ、ドギマギしたけど、ものすごく正直だなぁと思って、更新を楽しみに読んでいます。

 社会問題に独自の視点から切り込んで書いていたり、日常のなにげない風景を自分の言葉で綴っていたり、いろんなブログを読むのが面白いなぁと、つくづく思うのです。

いろんなものの見方や考え方、生き方があって、本当にすばらしい。

新聞でどの欄が一番好きかというと、投書欄なのですが、その投書欄を毎日いろんな人の投稿を読ませてもらっている気分です。

しかも、建前抜きの本音の投書欄。ブログって面白い。

今どきの若者像

 メジャーリーガーの大谷選手の活躍がめざましいですが、わたしの周りではあまり人気がないのです(ごめんなさい)。人気がないというより、興味関心が湧かないというのが正しいのかな。惹かれないというか。

 ひとつの理由は、優等生っぽさが好きになれないというのを聞きました。わたしはよくわからないけど、大谷選手にはお利口さんのイメージを持っています。ガツガツしていない、お利口なお坊ちゃん。

 昨日の深夜、和泉修さんが母校の浪速高校ボクシング部の監督をしているドキュメントをやっていて、興味深く見ていたのですが、なんだか違和感を持ってしまいました。ボクシング部員たちが、みんなお利口さんなのです。爽やかイケメンたちが笑顔でカメラに向かって話していたり。

 わたしのなかではボクシングをやっている若者って、眼光鋭くて荒い動作でもって、他者を寄せつけないイメージなのです。キレたら手に負えないような爆弾。実際、昔はそうだったような気がします。目つきの鋭い若者がふと見せる、はにかんだような笑顔とかに惹かれます。少女マンガの世界っぽくなってきました。

 ドキュメントに出てきた、今のボクシング部員たちは、爽やかにスポーツを楽しむ若者たちでした。なんか物足りないなぁ〜と思ってしまったわたし。

 これが、今どきの若者像なのかぁとすこし寂しく思うのです。反抗期もない若者が多いと言うし、10代をお利口にすごして社会に出ていくのかな。ちょっとは反抗してもいいのだよって、若者に言ってみたくなりました。周りの大人たちは、寛容に受けとめてくれるから。

言葉を自由に使えないこと

 断◯離が商標登録されたという情報は何となく見て知っていたのですが、正直これだけ世の中に浸透している言葉を、今さら独占使用しようとするのはナンセンスだなと思って、ふーんという感じで放置していました。そうしたら、とあるYouTuberさんが警告を受けたと。アドセンスを貼っているブログも、今後この言葉を使用できないとの情報が流れてきました。

 メインブログの記事のなかに使っているものがあったので、早速削除しました。が、なんだかモヤモヤ感が残ってしまいました。

 提唱者個人の造語であり、それを使用してのビジネスを行なっているということから権利を主張するのは、アタマで理解はできるけど、感情的には納得できないなぁという気持ち。

 なんとも言い表せない恐ろしさを感じる。これだけ、一般に浸透している言葉を、自由に使えないという言論の不自由さに。

ボーナス時期が近づいてきた

 前職を退職してから3ヶ月が過ぎたのだけど、元同僚から夏のボーナスがどうやら支給されないかもしれないと聞きました。経営状況がかなり厳しいみたいです。人間関係はとても良かった職場だったので、本当に辞めて良かったのかと考えることが今だにあるのだけど、お金のことを考えると良かったのかもしれません。もともとのお給料もかなり少なかったので。

 退職金も期待はしていなかったけど、愕然とする少なさで、自分の意とはまったく沿わない仕事も断らずに、率先して引き受けて、自分なりに貢献していたつもりだったけど、この評価なのか〜とショックは地味に今も続いています。退職金額を元同僚に聞かれたので答えたら、同様の反応でした。そりゃ、将来というか、これから先の見通しが暗くなるよね。かと言って、せっかくの休みに副業はしんどすぎるし、本業に支障をきたすであろうと。わたしもその通りだなぁと思います。本業でしっかりと稼げるようになって欲しい。

 年金制度が破綻しているのはわかっているけど、老後資金を2000万円は自己資金で賄いなさいとか、副業でしっかりと稼いでおきなさいとか、政府は国民に自己責任を押し付けるようになってきている。アタマではわかってはいるけど、政府や雇い主は、もっと本業でしっかりと稼げるようにして、将来の老後も安心して過ごせるように、責任を持ってやっていって欲しいものです。

 安い月給や退職金しか払えないなら、人を雇う権利はないと思うのは、基本的なことだと思うのだけど。人の生活を担っている責任感を持たないと。

 これから先も、おそらく、わたしが起業して人を雇う側になることはないだろうけど、この意識だけは忘れないでおきたいものです。

 

 

カラスなぜ鳴くの?

夜中0時頃からカラスがずっと鳴いていて、結局、朝までずっと鳴き続けていました。カラスたちは、何を騒いでいるのかしら?と、つい気になって考えてしまいました。

夜中に聞こえる鳴き声って緊迫感が満載。まるで魔女の森かのような、不吉な雰囲気を醸し出してくれる。人間の不安な感情を引き起こすような気がします。

夜中にカラスが鳴く理由を調べてみたら、地震の前触れという項目を見て、え〜またかと思ってしまいました。去年の6月に起きた、大阪北部地震のことを思い出して。

でも、よく調べてみたら、この春から初夏にかけては繁殖期で、夜中にカラスが鳴いてもおかしくないのだそう。だから、去年の6月の大阪北部地震の前日の夜中に、カラスがやたらと泣いていたという、事後情報が流れてもおかしくはないのでしょう。

カラスが鳴きやんだ後に、大雨警報が発令され、大雨の朝を迎えることになりました。もしかしたら、大雨が降りそうだと騒いでいたのかもと思いました。

本当に雨の降り方が、年々ひどくなっています。今日の大雨は、大きな被害が出ることはなかったようだけど、自然災害の起こる前触れの動物たちの動きには注意してみてもいいのかなと思ったできごとでした。あまり、不安がる必要はないけど、人間よりも自然のことをしっかり感じて見ている動物たちの方が、信用できるのかもしれません。

 

引きこもりという言葉が一人歩きしているように思うこと

 メインブログを運営しているなかで、特化ブログのはずが、時折日常感じる雑感も綴るようになっていきました。純粋に書くことが好きなのです。

 ある時、はてなスターボタンを非表示にしました。そこから、はてなブックマークをつけていただくようになっていきました。SNSでいう「いいね」の感覚なのでしょうか。すると、予想していなかった、はてなブックマークの新着エントリー入りをするようになり、はてブコメントというものに困惑することがありました。

わたしは、議論を交わしたいがために雑記を書いているわけではなく、自分の感じたことや考えたことを書き残す、いわゆるアウトプットのために書いています。

 自分が招いたことなのだろうけど、まったく予期しない反応が起きて、はてなブックマークボタンも非表示にしました。購読しているブログは今も読んでいるのですが、スターやブックマークをつけることは足跡になるので、やめています。まるで、はてなブログ界での引きこもりみたいだなと、自分で思いながらひっそりとやっています。

  「引きこもり」といえば、ここ最近の続いた事件の影響で、「中高年の引きこもり問題」が連日ニュースで報じられています。事件が起こる1.2ヶ月くらい前から、やたらと中高年の引きこもりという言葉が流れていて、報道番組の特集でもやっていたのです。内閣府の調査報告によるものだったと思うのですが。ちょうど、その後に川崎と練馬の中高年の引きこもり問題が関わる事件が続いたため、個人的にはすこしは刺激された部分もあったのではないかと感じました。世間が中高年の引きこもりについて騒ぎはじめているぞと。勝手な憶測。

 事件が続いた後の中高年の引きこもり問題を取り上げる報道を見ていると、まるで引きこもりという言葉が一人歩きしているように思います。引きこもりの定義を理解していない人たちが、さもまともだと言わんばかりにコメントしているのも見受けられます。

 

引きこもりとは*1

引きこもり(引き籠もり、ひきこもり、英語表記 hikikomori)とは、仕事学校に行けずに籠り、家族以外とほとんど交流がない人の状況を指す。現時点では、日本の厚生労働省はこうした状態が6か月以上続いた場合を定義としている。また内閣府は引きこもりの実態を把握するために、15歳〜39歳までの若年層を対象に調査してきたが、引きこもりが長期化する人が増えていることから、2018年12月、40歳から64歳を対象とする初めての調査を行い、40歳から64歳で引きこもりの人は、推計で61万3,000人に上り、15歳から39歳を対象にした調査で推計した54万1,000人より多くなっている。

 

 また、最近では広義の引きこもりという定義も提唱されてきています。

国が用いる定義では、仕事や学校などの社会参加を避けて家にいる状態が半年以上続くことを言う。内閣府調査では、ほとんど自室や家から出ない「狭義のひきこもり」に加え、趣味の用事のときだけ外出する人も含めた「広義のひきこもり」を推計している。従来は専業主婦(夫)や家事手伝いは一律にひきこもりから除外していたが、今回から変更。回答から、最近半年間に家族以外との会話がほぼなかったとわかる人は、ひきこもりに含めている。*2

 

 これを見ると引きこもりにあてはまる人って、ものすごい数の人口ではないかと思います。専業主婦の人たちも、広義の引きこもりとみなされるとなれば、かなりの人数になります。

そもそも、専業主婦は立派な仕事だと思うのですが、家族以外と半年間接点がほぼなければ引きこもりとみなされるのですね。

 引きこもりが犯罪予備軍であるという論調は、危険だなと思うのです。毎日ニュースやワイドショーを見ていると、中高年の引きこもり問題を取り上げて声高に論議してはいるけど、まるで、引きこもりは犯罪予備軍だと前提で話している人ばかり。そして、しっかり引きこもりの定義について、説明している番組がないのも怖くなります。

 引きこもりになった理由や原因は、ひとそれぞれあるのでしょう。過労のために体調が悪化して仕事に行けなくなったり、職場の人間関係が上手くいかなかったり…。本当に人それぞれだと思います。

 世間から見れば引きこもりであっても、在宅で仕事をしている人もたくさんいるのではないかな。それによって、しっかり生計を立てていれば、その生き方もいいのではないかと思うのです。

 大体、芸術家と呼ばれる人たち、作家や画家、漫画家などの職業は、ある意味、他人から見れば引きこもりなのでは。何も外で労働することだけが、正解ではないはず。そもそも、生き方、働き方に正解はない。

 引きこもりは問題!悪いことなんだと決めつけてかかるのでなく、もう少し鷹揚に捉えてもいいのではないかと思います。もう、いい加減に、生きづらさを抱える人を追い込むような圧をかけないようにしようよと。

みんなが同じような生き方をして当たり前とするより、「いろんな人がいていいよね」と思えるような社会になって欲しいなと、つくづく思うのです。生きづらさばかりを感じるより、その人らしさを大切にして生きられる世の中になりますようにと願うばかりです。

 

*1:出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)

*2:2019-03-29 朝日新聞 夕刊 1総合